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忌部神社(徳島市二軒屋町)に参拝!御朱印などもご紹介!最近では縁結び神社とも!?

忌部神社(徳島市二軒屋町)に参拝!御朱印などもご紹介!最近では縁結び神社とも!?

今回は、徳島市二軒屋町にある忌部神社に参拝してきました。

本来は?フルーツ勢見屋さんの横から登っていける神社ですが、金刀比羅神社の裏手からも登れまして、今回は、金刀比羅神社の御朱印もいただきたかったので、金刀比羅神社の裏手から登りました。

詳しく現在の様子などお伝えできればと思っています。

忌部神社のようす

まず、金刀比羅神社のすぐ横の道を進んでいきます。
他の方のサイトを見る限りもっと荒れていた様子ですが、少し整理されています。

それでも、こちらの階段付近は石なども倒れ、危険な箇所ではあるみたいです。

この道を進むと、左手に忌部神社へ通じる階段があります。

この階段が写真では伝わりにくいですが、とてもとても急で、高所恐怖症の私は足がすくみます。

この階段は、登るときよりも降りる時のほうが怖かったです。
できればあまり使いたくありません。

これを上りきると境内があります。

少し白く煙っているのは、神社の方が落ち葉などを燃やしていたため煙が出ていました。

平日の昼間で、真夏の暑い日でしたので私たち以外には誰もきていませんでした。

狛犬

狛犬が素敵ですね。

こちらにも。

これ、よくよく見ると前掛けが招き猫になってるんですよね!かわいい。

手水舎

しっかり作られていますね。

社殿

いよいよ社殿へ!とても綺麗な神社です。古びた様子もあまり感じません。

戦災によって主要な建物は燃えてしまったため、本殿は昭和28年に、拝殿は昭和42年に再建されたものということです。

白いところなどは塗装されているのでしょうね。これもこれで美しくて好きです。

忌部神社の歴史

『延喜式神名帳』に載せる「阿波国麻殖群 忌部神社」は名神大社にも列していたが、中世以降、兵火などによって所在が不明となり、近世以降、複数の神社が式内・忌部神社を主張していたため、明治4年(1871年)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格し、翌5年に麻植郡山﨑村(現吉野川市山川町)の村社忌部神社を式内忌部神社に決定した。

これに対して、美馬群西端山(現つるぎ帳貞光)の五所神社(現当社境外摂社御所神社)が式内忌部神社を主張し、翌々7年(1874年)に改めて山川町の忌部神社を比定するという太政官布告が出されたものの、その後も論争が続いたため、どう14年(1881年)に五所神社を式内忌部神社に変更したが、今度は山崎側が大いに反発し、結局太政官による妥協策として名東郡富田浦町(現徳島市)にあらたな社地を定めるという通達を出し、同18年 (1885年)に眉山中腹の現在地を選定、そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して五所神社を境外摂社とし、社殿施工により同25年(1892年)5月15日に現在地に遷座した。

Wikipediaより引用

なるほどなるほど。

つまり、戦国時代に長宗我部元親軍の兵火で燃えてしまってどこに忌部神社があるかわからなくなってしまったんですが、近年以降に忌部神社の式内神社を主張する神社が複数あったということ。

式内神社」とは何か?というと、平安時代から「延喜式神名帳」という全国の神社一覧をまとめた帳簿があって、それに正式に記載されている神社ということになります。

結局、小競り合いが続いたので、太政官が「じゃあ、間をとって徳島市にしとく?」という形で現在の位置に遷座したということのようです。

ややこしいですね。

忌部神社の御祭神

忌部神社の御祭神は「天日鷲命

忌部氏という古代朝廷における祭祀を担った氏族の祖神で、日本神話に登場し、「日本書紀」や「古語拾遺」に登場するとのことです。

阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始したと言われています。

ご利益

商工業の繁栄や開運、開拓、殖産の守護神として信仰されているようです。

あと、最近では女優の水野真紀が結婚した神社ということで、「縁結び」も有名になってきているらしいです。

よくよく考えたら、「縁が結ばれた後の神社?」と思うのですが、そこはあまり考えないようにして、縁結びの最強スポットとして色々言われているみたいです。

忌部神社の御朱印

こちらの建物で御朱印をいただけます。

インターホンを押せば、後ろに宮司さんの家?があるので出てきてくれます。

しばらくは切紙のみということのようです。なぜだかは分かりませんが少し聞きにくい雰囲気でしたので、聞けませんでした。

500円でした。

忌部神社の概要

住所〒770-8063 徳島県徳島市二軒屋町2丁目53−1
TEL088-652-8892

その他のみどころ

境内社として左手に稲荷神社、右手に詳細不明の社。

現地の石碑によると、「元満州開拓青年義勇隊現地死亡者の御霊を拓魂碑より移し当社に合祀す」と記載されています。

こちらも、何と書いてあるかはわからない石碑です。

さいごに

日本の最初の地が徳島であったとも言われ、弓矢を初めて使ったとか、穀麻を植えて業にしたなど、現代の日本を作る最初の一端を担った忌部氏。

その祖神を祀るこの忌部神社にぜひ参拝してみてはいかがでしょうか。

近隣の御朱印をいただけるところは金刀比羅神社があります。

金刀比羅神社についてはこちらをご覧ください。

ぜひ、ご覧ください。