寺・神社

徳島市伊賀町にある『八幡神社』の歴史などをご紹介!市中五社の一つ富田浦八幡宮です

徳島市伊賀町にある『八幡神社』の歴史などをご紹介!市中五社の一つ富田浦八幡宮です

本日は、徳島市伊賀町にある八幡神社(はちまんじんじゃ)についてご紹介したいと思います。歴史のある神社で、眉山の麓に鎮座する神社となります。

住宅街の中に突如鳥居があり、昔の趣と現代の生活が融合したとても面白い造りとなっています。

八幡神社のようす

随神門

鳥居をくぐって、そのまま進むと、徳島市の指定文化財に指定されている「随神門」と呼ばれる門があります。

江戸時代中期に建築されたもので、三間一戸の切妻造りという造りだそうです。

左右にあるのが「 随神様」と呼ばれ、「かんながら」と読むそうです。
調べましたがよくわからず、神様という意味だそうです。

本殿は昭和42年に不審火があって、焼失してしまったようです。

裏側から見た門です。とても立派ですね。

この随神門に進む前に、すごく分かりにくいかもしれませんが、小さい水路があり、そこで小さい小さい橋もあったりします。

ここを抜けると、この神社にはとても猫が多かったです。
猫の写真はなかなか撮れませんでしたが、結構たくさんの猫がいました。
猫たちにとっては過ごしやすそうな環境ではあります。

手水舎

まず見えるのは、手水舎です。

この手水舎には龍がいて、とてもカッコいいです。

ただし、残念ながら外のサイトでは「キレイに整備された神社」とありましたが、行ったタイミングが悪かったのか手水舎の水はとても手をつけられるような水ではありませんでした。

本殿

そしてさらに進むと、一段と高い位置に本殿がありました。

この階段の側は、昔は階段であっただろう段々がありますが、現在は使われていなく、草もボーボーに生えておりました。

階段を登り切ると、とても立派な本殿がありました。

とても立派ですね。
ただし、前述したように不審火によって燃えてしまいました。そしてその後昭和62年に再興したものです。

狛犬

こちらの狛犬はかなり年季の入った狛犬ですね。
お口がカレーパンマンみたいで可愛いです。

八幡神社の御祭神・御利益

御祭神

御祭神は14代、15代、16代の天皇を御祭神としているようです。

  • 応神天皇 品陀和氣命/誉田別命(ほむたわけのみこと)
  • 仲哀天皇 足仲彦尊(たらしなかつひこ)
  • 仁徳天皇

御利益

  • 厄災除け
  • 子孫繁栄
  • 所願成就
  • 出世開運
  • 武運長久
  • 国家安寧

八幡神社の歴史

元々は伊予国河野郷(現在の愛媛県松山市)に鎮座の氏神様を天文年間に阿波国に鎮祭。慶長7年(1602年)に瑞巌寺を置くにより、元禄10年(1697年)6月15日に現社地へ遷座した。阿波志によると、当時は社領20万石を有していたとされる。「寛保改神社帳」には、「富田浦八幡宮 神主富田 早雲斎宮」とある。
明治6年(1873年)に郷社に列したが、終戦後に宗教法人となり社格は撤廃。

Wikipediaより引用

昭和42年に不審火により消失

富田八幡神社は昭和42年不慮の災火で随神門を除く御社殿の悉くを消失し、爾来十九年余りの間隣接の仮御殿に安置されていた其の間再度に亘って再建計画が練られたが、いずれも諸事情で挫折、昭和六十一年地域住民の総意を結集して八幡神社再建奉賛会を結成。寄付金九千八百万円を目標に再建募金に着手。諸般の悪條件を克服し、目標額を突破する寄付金を得て、総工費一億円を投じて地域住民の宿願である八幡神社昭和の再建を完遂したのである。この度、八幡神社再建竣工式を挙行するに当たり、先人が再建に賭けた功労を讃え、その偉業を後世に伝えるものである

八幡神社再建奉賛会

簡単にいうと、昭和42年に門以外が焼けてしまい、色々と再建計画が練られてきましたが、どれも頓挫してしまいうまくいかなかったのですが、地域の皆さんが頑張って寄付金を1億円集め、やっとの思いで再建を果たしました。

大変だったんですね。それにしても一億円集めるって大変ですよね。やはりこの辺りは高級住宅街だからこそなのでしょうか。素晴らしいです。

同じ境内にある神社等

家神社

同じ境内に「家神社」という小さな神社もあります。
やはり若干放置されている感はどうしてもあります。草がすごい生えてるからだとは思います。

家神社についての詳しいことは分かりませんが、貫禄は十分ですね。

八幡水

家神社の前にある古い井戸があるのですが、そこから出る水が八幡水というそうです。

八幡水

『八幡水』は、錦竜水や瑞巌水、鳳翔水などと共に、江戸時代から良質の地下水の得られない地域における生活に欠かせない水源として、人々に親しまれて参りました。
 江戸時代の藩奢記聞によると、延宝四年年(1676年)の記事に『市中水売人十六人に限る』などとあり、古くから水売商売人の存在が指摘できます。
 水質不良の地域は、水売商売人に頼っており、明治44年(1911)6月の徳島県警察部の調査によれば、この八幡水は旧富田浦町の3423戸に一荷当たり1.5銭〜3銭で供給されたと言われています。
 鳳翔水が1389戸、錦竜水が806戸、瑞巌水が30戸に供給されていたのに対し、供給戸数が極めて多く、その水量の豊富さも伺えます。
 大正八年(1919年)の徳島市の調査でも、掘抜井戸の増加により飲料用水を購入する戸数が減少しましたが、総数(3,576戸)のうち、1371戸に供給していたとされています。
 第二次世界大戦後、戦災により焼け出された数家族が一時期境内で生活している間使用していましたが、その後放置されていたのを平成三年により地元有志の努力により復元されたものです。

ただし、現在はこの写真のように草まみれになっておりますので、機能しているのかどうかは定かではありません。

ですが、この八幡水だけではなく、眉山周辺や寺町などには湧水なども多く、実際に飲用水として持ち帰れるお水もあったりしますので、使用し続けていれば綺麗な水質なんだとは思います。使わなければ、だめになって行きますよね。

その他の神様

最初、下から見ると草が生えすぎていて、見つけられなかったのですが、八幡神社の本殿に登ると見つけることができました。

草の中を入っていき、蜘蛛の巣に引っ掛かりながらもたどり着きました。

ほうろく大明神

火災で富田八幡神社は焼けたが、立派に復旧している境内の片隅に鎮座している頭の格好がほうろく頭巾を被ったのと似ているので名付けられたのも色々といたずらをして人々を困らせたという。所願成就とくに交通安全に霊験あらかたと言われる。

八兵衛大明神

戦災前までは富田町の按摩小路に歯痛の神として鎮座していた。都市計画のため住居を失い、富田八幡神社の境内に祀られている。今でも歯痛を誠心誠意祈願すれば治るといわれ、子供づれでお詣りする者が多い。また子供の成育や勉強増進にも霊験あらかたと言われる。

六兵衛大明神

六兵衛大明神は江戸時代から新町商店街に住み時代変遷とともに丸新ビル屋上より富田八幡神社境内に遷座している。昔は西の侍大将として勇名をはせたが、その後は商売熱心でその余暇には芸事に励み、粹人として名を挙げた。商売繁盛とくに入学試験などの子供の願い事を聞き届けてくれるので有名である。

大岩大明神

よく人を化かして、土地柄、土産の料理をとって食べたと言われ、色々悪戯をしたという。商売繁盛とくに水商売には霊験あらかたと言われる。ホテル、料亭伊左久の大岩の下に鎮座していたが、伊左久の撤去に伴い、現在は六兵衛大明神と一緒に合祀されている。

富田八幡神社について

概要

住所〒770-0926 徳島県徳島市伊賀町1丁目7
TEL088-623-9234

駐車場というのはないかもしれませんが、境内に車を止められるスペースはあります。
直接車で境内の中に入られている方も多いです。

御朱印

富田八幡神社は、いつでも受付してくれる訳ではなく、スケジュールがどうも決まってるようです。
ですので、事前に電話をして受付の日時等を聞いてみてください。

境内に社務所があります。

さいごに

こちらの境内の北側には、歴代の蜂須賀藩主を祀った国瑞彦神社というのもあります。

こちらも合わせて回られるのがおすすめです。

今回ご紹介した八幡神社は、最近は手を加えられていない感が少しありますが、歴史あるお寺のその雰囲気を味わって貰えたらと思います。

近くの保育所の子供達の笑い声の中、凛と佇むその社にぜひ参拝してみてくださいね。